Feb 08, 2010
注文家具で自分のオリジナルを作ろう
最近では、合理的な世帯が増えている。しかし、それのためにどこも同じ世帯である場合が多い。こんな時代だからこそ、自分も続きの助けを出すために、注文の家具を作ってみてはどうだろうか。デフォルトでは、注文の家具は、自分の好みを最大限に反映させることができます。ぜひ、自分の理想に合う注文の家具を作ってみたいのだ。森に囲まれた空間で毎日過ごすということに憧れを持っている人もいるでしょう。自分ではなかなか実現させるのが難しいと考えている人は誰かと共有することも念頭に置くのはいかがでしょうか?エコハウスという建築法が人気を集めているのです。エコハウスは、将来の可能性もあると私は考えています。
【ニューデリー】汚職を取り締まる強力な政府機関の設置を求めて計画したハンガーストライキに対する当局の許可条件をのまなかったとして活動家アンナ・ハザレ氏(73)が拘束されたことに抗議して、デリーなどの都市で17日夕刻、合わせて数千人が抗議集会を行った。
議会近くのインディア・ゲートでは、ろうそくやインド国旗を手にした人々がテレビ局の車を囲んで、「アンナ、われわれはあなたと共にいる」「アンナ万歳」などと叫んだ。バンガロールやチェンナイなど他の都市でも、規模はこれより小さいが抗議集会が開かれた。
ハザレ氏は17日夕時点で引き続きティハール刑務所にいる。ここには政府を揺るがし、同氏の活動への支持を高めた汚職の関連で逮捕された数人の政治家も収容されている。
インドのシン首相は17日、ハザレ氏とその支持者2600人以上を拘束した警察の判断は間違っていなかったとの見解を示した。しかし、同首相は、ハザレ氏の抗議の権利を擁護する野党「インド人民党」のアルン・ジャイトレー氏らの厳しい批判に直面することになった。
ジャイトレー氏は同日の上院で、期間を3日に限り、参加者を5000人に制限するという警察の条件を受け入れていれば、ハザレ氏の抗議活動は認められていたと首相が述べたあと、「首相は全ての政治感覚を忘れてしまったのか。政治的扇動にはどう対処すべきか忘れてしまったのか」と批判した。
シン首相は、汚職防止法案(ロクパル法案)に追加条項を付けさせようと抗議活動に訴えるハザレ氏のやり方は誤りだと指摘した。首相は「政府は社会のいかなるグループとの対立も望んでいない」としながらも、「社会の一部のグループが政府の権力に意図的に挑戦してくるなら、平和と安定を維持するのは政府の避けられない義務だ」と強調した。
ハザレ氏の反汚職活動が長引き、シン首相が取締機関の設置を阻止しているとの印象が広まれば、首相にとって政治的リスクが高まる。政府は同氏が4月に短期間のハンストをしたあと、市民5人と閣僚5人から成る委員会を設置してロクパル法案を策定したが、法案が全ての政府当局者を対象にしていないことから、その範囲をめぐって意見の相違が現れた。ハザレ氏らは、首相も含む全ての当局者を対象とすべきだと主張。その後、同氏らは抗議のために法案のコピーを燃やした。
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アフガニスタンに関わる日本人で、安井浩美さん(47)の存在を知らない人はいないだろう。危険なアフガンで食堂やホテル、女性の生活を支援する手工芸店を手がけるビジネスウーマンだ。「人のために何かしたい」との思いが原動力。いまや日本とアフガンの関係に欠かせない大きな存在だ。(バーミヤン=アフガニスタン中部 田北真樹子)
「グッドモーニング」
安井さんの明るい声がバーミヤンにあるホテル・シルクロードの食堂に響いた。窓からは、イスラム原理主義勢力のタリバン政権が、2001年3月に爆破した巨大な仏教遺跡が見渡せる。安井さんは宿泊客に「卵はどう料理しますか」と英語で注文を取り、ハザラ人スタッフに現地語のダリ語で指示する。
07年に開業したホテルの経営者は、安井さんのアフガン人の夫、アブドゥル・サブールさん(41)。安井さんは自称「お手伝いさん」だと自嘲するが、夫がカブールへ行き不在のときは、12人の現地人スタッフを管理する。営業は夏季だけ。その間、世界中からの客であふれる。
◆内戦取材が契機
カブールでは日本料理店「Bentoya」、手工芸店「シルクロード」を経営する。共同通信カブール通信員の肩書も持つ。
京都府宇治市出身。地元の短大を卒業しアパレル会社で5年間勤務後、女友達と2人でシルクロードをたどる旅に出た。1年間、旅先で旅行ガイドをして資金をためては旅を続けた。道中で見かける絵描きの姿をみて、「感動を伝えたい」との思いを強くしてカメラマンに転身した。
アフガンに初めて足を踏み入れたのは1993年。旧ソ連が89年に撤退した後に勃発した内戦中だった。パキスタンから陸路アフガン入りし、内戦の取材に追われた。突然の攻撃に備え靴を履いて寝た夜も少なくなかった。当時、行動を共にした軍閥の幹部らはカルザイ政権の閣僚など要職にある。いまでも携帯電話で連絡を取る関係だ。
避難民キャンプの取材にも時間を費やした。そのとき目にした惨状が、現在の活動の原点だ。
◆国の将来に希望
2001年9月からアフガンに腰を据える。翌年、避難民の子供のために、カブール近郊に学校を開設した。「シルクロード」は、バッグやテディベアなどの商品を、布地の織りから縫製、装飾まで60人以上の女性が担う。夫に内職がばれれば暴力を受けるケースもあるという。それでも稼ごうとするのは子供のためだ。
安井さんにとってアフガンは「第二の故郷」。約30年間、平和が訪れたことはないが、「以前と違って希望が見える。子供が死んでもまたつくればいいと思っていた人たちが、子供の将来が重要だと語り始めた」と話す。この国の将来に自信を持っているし、これからもアフガンにとどまるつもりだ。「ジャーナリストとしても、世界にアフガンという国を理解してもらうために仕事を続けていきたい」と笑った。
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