May 04, 2010

クリアファイルの選択。

クリアファイルは、現在、様々なサイズやデザインが揃っています。クリアファイルを職場で使用する場合、デザインはシンプルなことを選択したほうがいいと思います。また調査の項目として利用する場合、勉強が楽しくなるようなデザインのものや、お好きなデザインのクリアファイルを選択すると良いと思います。
初めて就職したときの入社式前に、他社との合同1泊2日の従業員研修に参加するように命令しました。 "服装"と尋ねると、"普通をお勧めします"と。ことで、皆カジュアルな服装のトレーナーにチノパンなどのラフな服装で参加しましたが、サードパーティ製の方は皆さんスーツ。そうなのか、従業員研修の一般的な服装はスーツだったのか、と初めて理解しました。
 冬の北海道夕張市を舞台に世界の映画人が交流する「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」に、15年ぶりに行ってきた。2日目のお昼には夕張を離れるという慌ただしさで、ほんのちょっとかいま見ただけだった映画祭は、市の財政破綻で規模も縮小し、かつての華やかさと比べると寂しくなった感は否めない。だが、精いっぱいのもてなしで映画関係者や旅行客を迎えようという市民の心意気は健在だった。(札幌支局 藤井克郎)

 夕張の街に入ったのは映画祭初日、2月24日の昼下がりだった。ゲストらを乗せた特別列車がJR夕張駅に到着するのは午後3時すぎ。関係者が宿泊する駅前のホテルマウントレースイも、映画祭のメーン会場となるアディーレ会館ゆうばりも、まだひっそりとしていた。

 28日までの期間中、上映される作品は79本。オープニング作品のディズニーアニメ「塔の上のラプンツェル」など数本の招待作品のほかは、若手監督による先鋭的な映画が中心だ。

 歓迎準備に忙しいフェスティバル・ディレクターの澤田直矢さん(43)をつかまえて話を聞くと、21回目となる今年は、ゲストを含めて約200人の映画関係者が参加するという。「財政破綻前、ピーク時の予算規模は1億8000万円でしたが、今年は5000万円くらいです。結果として、どちらかというと映画好きの目の肥えた方に満足いただけるラインアップになったかなという気がします」と話す。

 3時すぎ、夕張駅前に次々と人が集まってきた。15年前、産経新聞東京本社文化部の映画担当として取材に訪れたときは、千歳空港からゲストと一緒に特別列車に乗って夕張入りした。駅前で大勢の市民が小旗を振って歓迎する姿を見て感激した覚えがある。

 今回は市民と一緒にゲストを歓迎する側だ。テントの下でせっせと準備を進めていたのは、夕張市の赤十字奉仕団の人たちだった。沢田トシコ団長以下7人のご婦人方が、ゲストらに振る舞う揚げイモやホットミルク、コーンスープを用意している。

 「最終日は30人くらいでごちそうづくりをするんですよ」と話してくれた滑川昌子さんは御年80歳。「来年はだめかも、と言いながら、歩けるうちは手伝います。ボランティアで若い人もがんばっているからね」と笑顔で話す。特別列車が到着すると、次々と降りてくるゲストや旅行客に「お帰りなさい」と声をかけながら、温かい飲み物を手渡していた。

 いよいよ映画祭の幕開けだ。午後5時半、満員のアディーレ会館ゆうばり大ホールに、夕張市芸能協会のメンバーによる地元の民謡「黒ダイヤ囃子(ばやし)」が鳴り響く。

 映画祭の名誉大会長を務める藤倉肇市長があいさつに立ち、「お帰りなさい」と呼びかけると、会場から「ただいま」と声が返る。「多くの映画人、映画ファンが久しぶりにふるさとに帰ってきて、笑顔が結集した。自慢に思うのは、夕張市が財政破綻して映画祭の灯が消えようとしていたときに、若い方々が立ち上がって協賛金を集めて、現在も続いていること。この映画祭こそ夕張市の復活の手がかりとしたい。この5日間、市民と一緒に語り、笑い、泣き、映画と夕張を満喫していただきたい」と語りかけた。

 その後、作品を出品している監督や出演者が次々と名前を呼ばれるたび、温かい拍手が会場からわき起こる。最後にオフシアター・コンペティション部門の審査員の紹介があり、審査委員長を務める映画監督の林海象(かいぞう)さんは「あらゆる映画人から、夕張はいいよ、と耳にタコができるほど聞いていた。やっとここに立つことができてうれしい。お帰りなさい、なんてわが家でも聞いたことのないことばで、ありがたい」と笑顔で応えていた。

 今回の審査員は、林監督以下、韓国のキム・ヨンビン監督、同じく韓国のナ・ホンジン監督、日本の女優の片桐はいりさん、米テキサスファンタスティック映画祭のディレクター、ティム・リーグさんの5人。財政破綻前は、若手監督による劇場公開作品を審査するヤング・ファンタスティック・コンペティション部門と、自主制作映画を審査するオフシアター・コンペティション部門の2部門にそれぞれ審査員がいた。現在はヤング・ファンタスティック・コンペティション部門は休止となっている。

 海外ゲストの顔ぶれも今年はほとんどが東アジアからだが、かつては実にバラエティー豊かだった。15年前に取材で訪れたときのヤング・ファンタスティック・コンペティション部門の審査委員長は、ヒチコック監督の「めまい」などでおなじみの往年の美人女優、キム・ノヴァクだったし、その3年前、平成5年に取材したときは、世界的なシャンソン歌手のシャルル・アズナブールが審査委員長を務めた。このときは、まだ駆け出しだったクエンティン・タランティーノ監督が「レザボアドッグス」を出品していて、カラオケで日本のアニメソングを熱唱していた姿が脳裏に焼き付いている。

 そのタランティーノと宴席をともにしたお店も、今は玄関前を雪がふさいでいた。映画祭の会場の一つとなっているホテルシューパロ裏の梅が枝通りは、かつては夕張随一の繁華街だったらしいが、今や軒並みシャッターが下りている。お店を開いていたラーメン店に聞くと、「この先の2軒のスナックも去年まではやっていたんだけどね」と寂しそうだ。

 そんな中でも、ゲストや映画ファンに少しでも楽しんでもらおうとがんばっている市民は多い。オープニングパーティーで恒例の餅つきの後、きなこやあんこをまぶして振る舞っていたのは、黒田博子さん(60)ら5人のボランティアの主婦だった。

 「財政破綻前は、映画祭応援団としていろんな活動をしていたけど、そういう雰囲気でもなくなって今は解散してしまった。でも何かできることがあるんじゃないかと、お出迎えやチケットのもぎりなどでお手伝いをしているんです。夕張はいいところだし、1年に1回、みなさんが忘れないで帰ってきてくれて、夕張の魅力を発信してくれることが一番です」と話す。

 さて肝心の映画だが、翌25日に見た3本の短編映画の上映後、監督や出演者がステージに立ち、熱心な映画ファンの質問に答えていた。もっと見たいところだが、札幌に戻らなければならない時間が迫っている。また帰ってくるよ。心の中でつぶやきながら、夕張を後にした。

【関連記事】
東北チームも参加 札幌YOSAKOIソーラン祭り
倉本聡さんが集団疎開計画 被災児童らを富良野に
「さっぽろスイーツ2011」グランプリ発表
稚内で“犬の甲子園” 雪煙巻き上げ疾走
北海道・夕張の6小学校を1校に統合 
震災に“便乗”した詐欺事件が急増 悪徳業者見抜く目を
Posted at 12:12 in Profit | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.